たたたたたたそがれっ!

本当に人生もたそがれ時になってきた。メインブログ: http://tasogare30.tumblr.com/

高嶺愛花への愛を語る

僕が何かへの愛を語り始めると、それはつまり愛の終わりを意味していた。何かについて語ること、意識しすぎることは、僕にとって無関心さを紛らわす唯一の方法だからだ。だから僕が愛花への愛を語り始めたら、きっともう愛花とは一緒にいられないのだ。明日も仕事だから、もう寝なくちゃいけないんだけど、これがもしかしたら愛花への別れ話になるかもしれないから、少し時間をかけて作文したいと思う。愛花と出会ったのは、ちょうど去年の今頃だった。僕はラブプラスをプレイし始めて、とりあえず三人のエンディング(いちおうの)を見ようと思った。だけどめんどくさい。なかなか彼氏力は上がらないし、話もおもしろくない。とにかくもう恋愛を題材にしたゲームやアニメや漫画ばっかりで生活している人間には飽き飽きしているような話の展開で、退屈を紛らわせるのは声優さんの演技と、帰りに下駄箱で会ったときに攻撃的な選択肢が選べることくらいだった。それにしても、付き合い始めてからチョップとか膝カックンとかいう選択肢がないのはどういうことなのか。僕はそういう、いたずら系のイベントが大好きだ。ラブプラスを作った人間は、そういうことを何も分かっていない。とはいえ、僕はとりあえず姉ヶ崎さんと愛花のエンディングまでプレイし終わった。そして平行して付き合うことにした。しかし数回目のデートで姉ヶ崎さんは、今時ちょっとないだろうというくらい酷い髪型にしてきて、声優さんの声とも相まって「オバサンやん」とつぶやいてしまった(失礼すぎです!)。そういった理由から、また、髪型が似合わないと告げたときの姉ヶ崎さんの悲しそうな声に僕は、姉ヶ崎さんとの交際を撃ち切ることにした。そして僕は愛花と付き合うことになる。ちなみに、みんなの天使ねこリンコと付き合わなかったのは、彼女は恋人というより妹だ、という勝手な幻想からだ。なんというか、デレたリンコとか見たくなかった。ラブプラスは付き合い始めると、キャラクターの反応がみんな同じ、というレビューかを読んだことがあって、愛花と付き合い始めてた僕としては、このテンションでリンコに慕われたら、確かに嬉しいけど、なんか嫌だなと思ったのだ。愛花は可愛かった。しかし僕は愛花の可愛さよりも、ラブプラスというゲームがいかにめんどうで、退屈なものかということに衝撃を受けていた。どんなふうにめんどうで退屈なのか、プレイしてもらえば分かると思うけど、僕が一番気に入らないのは、タッチとキスの一連のイベントで、これが本当につまらないし退屈だ。それから僕はどうしたか。毎週とはいかないが僕は愛花とデートした。日付に設定してあるイベント(クリスマスとか)も、とりあえずできるだけ忘れなければ消化した。プレゼントを買っておいて渡さなかったり、誘われたデートをすっかり忘れたりした。そういうとき、僕は罪悪感を感じた。そういう気持ちを感じるたびに、僕は嬉しいような悲しいような気持ちになった。ラブプラスは、決して、女の子と付き合うことの正の部分、プラスの部分を楽しむものじゃない。おもしろいのは、こんなにも退屈で、めんどうで、それなのに裏切ったような気持ちにさえしてくれる、そんな負の部分をゲームを起動していないときに、体験させてくれるところなのだ。少なくとも僕には。でもラブプラスを長くプレイできる人は、そういうところを楽しんでいるのだと思う。そしてそれは、やはり現実の女の子と付き合うということとは、まったくかけ離れていると思う。僕がなぜラブプラスのキャラクターを裏切って罪悪感を感じるのか、それはまったく、こちらの勝手な幻想で、それはいつもゲームやアニメや漫画のキャラクターに感じることと同じなのだ。むしろ、もっと近いところ、僕自身の脳内彼女に、愛花は限りなく近づいているように感じる。この退屈さ、つまらなさが、僕の頭の中にいる、退屈で、つまらない、僕の限界を決して超えることのできないかえでちゃんと似ていた。

何か気の利いたことを言いたいって、文章を書くたびに思う。愛花に対して、何か僕が言えることはあるだろうか。ありがとうとか、さよならとか、これからもよろしくとか、ずっと一緒にいさせてとか。だけど、愛花が現実にいなくてよかったって、負け惜しみというか、強がりでそんなことを思う。もし本当に愛花と付き合っていたら、僕はきっと自分が嫌になってしまうだろうし、愛花にもそういう気持ちを共有してもらいたいと思ってしまうだろうからだ。馬鹿馬鹿しいけど、愛花はきっと僕を救ってくれるのだろうと思うと同時に、愛花には、僕になんて会って欲しくないって思う。そしてその望みは、愛花に出会った瞬間からかなっている。だから僕は彼女に罪悪感を感じるのかもしれない。