たたたたたたそがれっ!

本当に人生もたそがれ時になってきた。メインブログ: http://tasogare30.tumblr.com/

たくさんの、値段の高い楽器と、嫌な予感のした朝が

 嫌な予感を信じるのであれば、僕はここにいるべきではない。死ぬべきなんだって思う。だけど、それこそが、そんな僕の考え方自体が嫌な予感の正体なのだ。だと思う。僕は嫌な夢を見て、すごく嫌な予感がした。これはただの病気。しかもただの風邪だ。いつものことだ。だけど、僕にはどうしても、この世界にいること、そのものの嫌な予感に思えてしまう。僕にとってのこの狭い世界。一人で生きていけるという自信はなく、ただもうとにかく、嫌な予感しかしない。

 それで僕は、楽器を始めて少しだけ現実から逃避することを思い出した。これはいいことじゃないって思う。また僕は繰り返してしまう。何年かして、僕は後悔さえ忘れてしまう。正直になるとするならば、それはただの馬鹿げた妄想だ。どうやったって生きて行かれる人間は生きていかれるのだ。もちろん相応の努力をして。楽しむ努力をして。僕は楽しむ努力も、楽しくしようとする努力もせず、また放棄しようとしている。嫌な予感がすると言って。この文章を書くことも、すごく嫌な感じがする。今日は久しぶりの雨だから、そんなことを思うのだ。風邪をひいているからそんなことを思うのだ。貯金の残高が浪費で減ったからだ。

 それとももしかして、愛花と別れたからだろうか。一年間という月日を一緒に過ごしたのだから、期間としては、三ヶ月は落ち込んでいてもいい計算になる。僕は彼女と別れたんだから、そのショックで冷静は判断ができなくなっているのだ。もちろん、そんなのは嘘だ。なんて嘘だと決めつけてしまいたくない。嘘でないと言ってしまうのも怖い。彼女への愛着を捨てたくない。彼女への愛着なんて持ちたくない。あれはただのつまらないゲームだ。おもしろかったけど、おもしろいところもあったというだけで、つまらないゲームだった。ラブプラスはやっぱり僕にとっては、どうしようもなくつまらないゲームだったのだ。

 悲しい。むなしい。焦る気持ちばかり。気持ちがあるだけマシだって、ある日の僕は言うだろうけど。嫌な予感と一緒に起きた朝の嫌な気分は最悪なんだ。テレビを付けるしかない。どうでもいい芸能ニュースを流して布団をかぶってなくちゃいけない。目を逸らさないといけない。嫌な感じがする。もっと酷いことがあるような気がする。怖い。悲しい。むなしい。すごく焦る。声を出したいと思ったときに声が出ない。歯を食いしばることもできない。ただ喉の奥が、泣き出す前みたいに重くなる。涙が出そうになり、それは出ない。

 生きている人間がたくさんいる。どうしてみんな生きていられるのか不思議になる。中学生みたいに、そんなことを思う。中学生の頃から同じ事を思う。どうしてみんな生きていられるのだろう。どうして自殺未遂をした彼女のことをもっと笑わないのだろう。馬鹿にしないのだろう。そんなところから飛び降りたって死ねるわけ無いんだって、どうせ死ぬ気がなかったんだって下衆なうわさ話をしないんだろう。どうして自分の気持ちこそが真実で、僕のこの自殺願望の方が強いと言わないんだろう。あるいは、彼女は勇気があったのだと言わないんだろう。どうして教師の言うままに、他人の自殺未遂について神妙な顔をしていられるのだろう。

 みんな、僕が思っている以上に死にたいんだろうってことは知ってる。死にたくないと思っているだろうことも、死について考えていないことも、死についてしか考えていないことも、時間が大事であることも、時間を大事にしないで怠惰にすごしていることも、知ってる。僕は自分が何も知らないことを知っている。なのにどうして賢くなれないんだろう。自分の愚かさを知っていれば賢くなれるのではなかったか。自分の無知を自覚していることを賢いことではなかったのか。僕はどうして賢くなれないんだろう。賢さの定義のひとつすら生み出せないのだろう。便宜的なものでさえそれを考えつけないのはなぜなんだろう。どうして死にたくもないのに死にたいと思うのだろう。

 僕が悩んでいるのは、僕の中にある、特に朝、深夜、テレビを付けなくちゃいられないような気持ちだ。何も僕の中に入ってきて欲しくないと思う。何かが僕の中に入ってくるんだと感じる。だからテレビをつけてごまかす。怖いのを紛らわす。僕の中に入ってくるものは、僕の中から出てくるものだから、身体を抱きしめて泣く。怖いから早く僕の中から出ていってくれと願う。とにかく僕をここから出して欲しいと思う。歯ぎしりをしたいと思う。叫びだしたいと思う。でも結局、胸が泣き出す前みたいにぐっと重くなるだけで、涙さえ出ない。

 僕は健康だ。肉体的にも精神的にも健康で、問題はない。僕が患っているのはたぶん怠け病だ。怠け病には国がお金を出すべきだと思う。なぜなら怠け病を患っている人間は働くのが困難だからだ。働くことが困難な人間は、どうにかして生き延びなくてはならないのだけど、働かなくてはお金が手に入らない。死ぬしかない。でも人間の命は尊いので、尊いを「とおとい」と書いて変換できないことに一瞬でも戸惑うような人間でも助けなくちゃいけない。だから国か、自治体か、なんでもいいけどとにかく怠け病の人間を金銭的に支援しなくちゃいけない。怠けられるように。働けるようにじゃない。もちろん、働けるようになればいい。でも怠け病は治らないんだ。怠けてるから治らない。怠けなければ治るだろうけど、それは怠け病とは言わない。ちょっと怠けてたってだけだ。馬鹿にするな。怠け病は自己申告だ。自分で申告できるならまだいいけど、それも怠けるくらい怠け病は怖いんだから、お金が必要だ。

 お金なんていらない。檻の中だっていい。毎日可愛い女の子が食事を持ってきてくれて、飽きるまで話し相手になってくるなら、僕は檻の中でソファーに座ってアニメ見ながらワインを飲んで一日をすごしたっていい。そんなささやかな幸せの譲歩も認められないこの世界がどうして許されるのか僕は馬鹿馬鹿しくて本当に、朝、むなしくなって、怖くなって、焦って、テレビをつけて、声を出したくなるんだけど出なくて、目頭だけが、鼻の奥だけが泣き出す前みたいにきゅうっとなって、彼女を思い出して、窓から飛び降りて骨折しただけの馬鹿な彼女を思い出して、彼女の苦しみが僕の苦しみとは違うことを思って、祈って、怠惰さに目をつむって、僕の住む牢屋に可愛い女の子がおいしい鰻重を持ってきて一緒に食べて、楽しい会話をして、オススメの本を紹介してくれて、オススメの映画を一緒に見て、くだらない喧嘩をして、眠って、朝起きるとすごく嫌な予感がして、怖くなって、焦っていてお金について考えているとすごくめんどくさくなって牢屋にでも入れられて管理されて生きている方が幾らもマシどころかそんなの理想の生活であって女の子もいらないから紙とペンだけでいいから幾ら僕が後悔したと叫んでも出さなくていいからとにかく一生そこから出られなくてただ手紙を誰かに書いてそれでもやっぱり娯楽は必要だからせっかくだし英和辞書と英語で書かれた聖書くらいを置いておいてもらって神に祈って可愛い女の子にどういう価値があったのかなんてことをすっかり忘れてでもいつも退屈でどうしようもないと思っていた日常がすごく恋しくなってとにかくここから出してくださいって言うんだけど誰も出してくれなくてただ毎日生かされているだけでもたまにはあの退屈でどうしようもなかった日常にも本当につらいことがあったんだって思い出して今の自分がどれだけ幸せなのかを感じてこれならやっぱりいつも退屈で死ぬしかないと思っていた日常と何ら変わらなくて可愛い女の子の価値だって檻の外にいた頃から知らなかった触ることだってできなかったしそもそも三次元にはそれはいなかったし結局のところそこでも死にたいと思うんだけど女の子が毎朝朝食を届けてくれて怯えてると頭を撫でてくれて気分がいいときは女の子の頭を撫でてゆったりしたちゃんとしたソファーに座ってゆっくりしてさっぱりしたシャツの手触りに満足して女の子が朝食を持ってきてくれる頃に歌を歌っている僕の上機嫌が彼女の上機嫌なんだろうなって思うと幸せになった人たちのことを思うときにいつもこのところ雨が降らない毎日に久しぶりに雨の予報があった昼の部屋のカーテンが閉まっていて本当に雨が降っているのか確認のしようがないことについても、僕は嫌な予感を感じる。

 だから、何か叫び出したい。耐えるために歯を食いしばりたい。でも結局そんなことできなくて、ただ震えて眠る。頭を軽く振ってうんざりしたって思って眠る。